インターネットの「担い手」として求められるリテラシ: 岡嶋裕史「迷惑メールは誰が出す?」

以前、「ある時期からISPのアドレスにスパムメールが殺到するようになってしまった(毎日数十通)」と書いた。このメールアドレス、今でも存在はしているものの、まったく使っていない。

たまにThunderbirdの「すべての新着メッセージを受信」コマンドを実行すると、400通くらいメールが来ていて、全て迷惑メール。いずれは現在使っているアドレスもこんな感じになってしまうのだろうか。

どうすれば迷惑メールは減るのか。どう自衛すればいいのか。そもそも迷惑メールって何なのか?。

というわけで今日の読書メモはこの本。

迷惑メールは誰が出す? (新潮新書)

迷惑メールは誰が出す? (新潮新書)


本書は、メールの一般利用者向けの、迷惑メールの簡単な解説書。迷惑メールの現状、法規制、メールの送受信メカニズムの基本、迷惑メール送信の仕組み、対処技術、一般利用者の対処法について、平易に解説している。技術的内容に関しても、詳細には立ち入らないが、扱う範囲はそれなりに広く、SMTP, POPから、SMTP-AUTH, POP before SMTP, OP25B, DomainKeys, SenderIDまでカバーしている。

書かれていることは、IT系の人にとっては当たり前のことが多いが、一般の人にとっては勉強になるのではないかと思う。迷惑メールで不利益をこうむりたくないと思っているなら、ITなんてわからないよと言っていないで、こういう本を読むことを薦める。

最後に。本書が特に強調するのは、インターネットの利用者が、同時に担い手でもある、ということ。メールの(つまりはインターネットの)利用者は、迷惑メールに対して受身で自衛するだけでなく、積極的に情報リテラシを養い、それによりメールシステム(ひいてはインターネット)をよりよいものにしていくべき。それがインターネットの思想である、と主張しているわけだ。そのことに関する記述を引用してこの記事を終えることにする。

インターネットの商用解禁が行われて以降、なるべくテレビやラジオと同様の感覚で使えるようにさまざまな技術的取り組みが行われてきましたし、インターネット接続業者が設置や設定を肩代わりしてくれるようにもなりました。

でも、根っこの部分でインターネットは、利用者に「関わること」を要求します。テレビの前の視聴者、傍観者ではなく、インターネットの担い手としての役割が、インターネットに接続した瞬間から、どの利用者にも否応なしに期待されてくるのです。

これはインターネットの本源的な設計思想であり、インターネットが現状の形で存続する間は常につきまとう問題です。

岡嶋裕史「迷惑メールは誰が出す?」、pp. 176-177